晴れのち雨に恋をした。

大学生のくだらん日常日記的エッセイと殴り書きの狭間

気がつけば

気がつけば、社会人になり3ヶ月

 

気がつけば、季節は夏に突入

 

気がつけば、ベランダにいて、キャンプチェアに座り、煙草を吸っていた。

 

気がつけば、上半身裸であった。

 

額には汗をかき、夏に煙草を吸ったことがあったか思い出していた。

 

大学時代、喫煙所で、友達と暑いと言いながら煙草を吸ったであろうか。まだ煙草を吸っていなかっただろうか。

 

気がつけば、立派な喫煙者。

 

気がつけば、トイレに座りネット動画を見ながら脱糞をした。

 

トイレを出る前、電気をつけず、真っ暗な中脱糞をしていたことに気づいた。

 

気がつけば何かが終わっていて、気がつけばそれがなんだったのか、記憶にも残らない物事ばかりの毎日だ。

 

こうやって、気がつけば、死んでいるのかもしれない。

 

子供の頃、なぜハゲたおっさんはベランダで上半身裸あるいは白タンクトップで出るのだろうと思っていたけれど、自分がその状態であったことに上半身裸で気がついた。

 

皆、気がついていないのだ。

 

久しぶりの投稿です。

気がつけば下書きを書いていました。

 

本日も仕事をし、気がつかないうちに寝て、また仕事をしている。

 

以前友人と、この社会人生活は夢であって、目が覚めればあの頃馬鹿話をした上野公園噴水前のベンチに座ってるだろうと話をした。

 

早くまた上野公園、いやどこでもいい、みんなで馬鹿話をしていたあの空間に戻っていたい、

 

気がつけば。

 

気がつけ!

愛を叫べ!!

純粋な愛が欲しいだけなんです。

 

目の前で語られてた愛が、

今まで感じていた愛が、

 

今も感じるのに、その真ん中がぽっかり空いている感覚なんです。

 

目の前で愛を叫ばず、自分の目の前じゃない、

見えないところで愛を叫ばれてもなにも感じません。

 

2人の目の前に強敵が立ち塞がった時、その人の1番の味方になれるような目に見えた愛を叫んでください。

 

そんな愛をください。

 

そんな愛が欲しいんです。

晴れのち雨に恋をした

時刻16:30 久しぶりに書き留める。

 

気づけば明日卒業式です。そしてこのブログも一区切りがつくということで。

 

ほんにゃかした意志で始めたもんだから、やったりやめたりで、ここには書いてないことばかりの大学四年間でした。(すみませう)

 

全て書けなくて悔しくてたまる感じではあるけれども、もうちょっとかけたらなぁーとも思ってます。

 

始めたきっかけは疫病が始まって過去の記憶が薄れてしまうから一瞬の気持ちや出来事を書き留めて、思い出せるようにしようと思ったのが始まり。今でも読み返すとこんなことがあったんだなと一人笑っております。

 

次の世間的役職が「社会人」となるため、このブログは終わりを迎えるのがオチだと思います。

ただし、ほんにゃかした意志は、あまりのほんにゃか故に壊れることもありませんのでもしかしたら社会人編も始まったり始まらなかったり。

 

閑話休題

 

今日は長編になりそう。

 

このブログの題名である「晴れのち雨に恋をした」の由来は、【晴れというのは代わり映えしない日常、雨というのは日常の中で起きた変化や凹凸に掛けている】のです。この時は大学が始まらず、ずっと帰省中、暇を持て余してる時間、外では雨が降っていました。(2回目投稿が早速日記じゃなくなってるのはそのせい)

 

「やむを得ぬ!」

 

小説の人物が主人公に向けて笑顔で言った言葉です。「やむを得ぬ!」を笑顔で言えるってなんかいいですよね。

 

この大学四年間、無益なものを求めては無益なものを摂取して有益なものを避けて生きてきました。ですがそんな日々も「社会人」という有益なものの塊を自らお腹に入れたためやむを得ず有益人間となってしまいます。僕には笑顔で「やむを得ぬ」なんて言えません。

 

周りを見れば若かりし大学一年の頃と多くが変わりました。我が「全国漢組合関西支部会長」K君も同じ無益を求める同胞でしたが今年から社会人、公園で会えば「もう働きたくない、ずっとこのままがいい」と無益人間から有益人間へと転職した人間が放つ言葉を吐き、早くも社会人化が進行しております。彼の吸い殻入れは穴があき黒色から新品の白色へと変わっております。(私もきっといささか髭を気にする日々に追われ、常時顔が黒から青色へと変化することを想像するとなんだか、ちくちくします。)

 

「全国浅男組合兼ナイーブ破廉恥連合青年部」のYくんは、住処を関東から九州へと移し、持ち前のナイーブさで社会の渦の中で揉まれ苦しむようで、きっとその浅さで簡単に立ち直ってしまうのでしょう。Y君とは今後会う回数が極端に減ってしまうのがとてもさびちいのである。なんせ国が違うのだからこれがまた困る。そしてこのイジリ文を読んだY君は今怒っているのかしらん?イジって反発が帰ってこないこの淋しさよ!!!

 

もう一人のあなた、あなたはいま如何に????

 

僕も色々あったんですよ?今なんて彼女がいるんですよ?煙草も酒も、ブラックコーヒー、レコードなんかもかけて洒落て悦に浸って嗜んで愉しんでるんですよ?無くなっちゃうんですか?髭は濃くなるばかりで無くなりません。

 

くそおお、やむを得ぬ!!!!!!

 

僕もこれから無益なんてそっちのけで生きていってしまうのではないか。題名は「晴れのち雨に恋をした」こんな無益たらたらの題名ないですよ。今後は雨が降るたび憂鬱になって濡れるなぁーとか有益な日々を求めて会社に出勤です。誰が雨に恋するんですか、晴れの方が数倍生きやすい。

 

あの頃は雨の楽しさも見つけたり、空っぽの夜の街を永遠に歩いたり、何するでもなく起きていて昼夜逆転朝飯前の無益たらたらの日々を追っていたというのに!!!!

 

時刻18:42 一服後の書き留め

 

気づけば外は暗いです。休み休み書いてるこの文章の終わりに近づいています。(もう書くことがありません)

 

明日は卒業式です。

 

大学四年間は非常に充実していました。

 

本人には一回言ったことあるけど、大学の友人は小中高で出会っていたら絶対に友人にはならない気がしてるんですよね。仲は悪くはないけど良くもない奴等な気がするんですよね。

 

これからは個人的想像で話すので失礼であるよ?

 

K君は意気投合する中ではあるけど、過去を聞く限り役職にはつかないけど権力のあるグループに所属してるイメージなので、僕とは友達にはなっていない気がする。僕は中心から遠ざかって別の位置に中心を作っていたタイプなのですよ。でもK君とはきっと違うグループなんだけど、時々意見を交わしあって「あいつ分かってんな」みたいにお互い考えてる関係になっていそうなのですよ。

 

Y君は、野球部の時点で遠ざかってるんですよね。(僕はサッカー部、この二つってあんまりまじわらんよね)、でも小中の友達グループには野球部が二人入っていたのでもしかしたら?なんてことも思ったけど無いですね。Y君は謎に正義感強いんですよ、なんたって大学入りたては公務員になって人助けをしたいなんて言ってたんです。(全く違うとこに就職しましたが。)僕は昔、ブラックジョーク的なことも言いながら楽しんでいたタイプなので「そうゆうの好きじゃない」なんて口にはしないけど勝手に思われてそうで距離置かれそうなんですよ。彼は他人に厳しく、仲間と自分に優しいんです。

 

特に小中って過去が密接してるから、本当は気が合うのに友達になりにくい人って多かったりするんですよ。大学なんて県が違う人達と知り合うから生まれて2回目くらいの真っ白状態で知り合える気がして、今までの価値観と全く違う人達と友達になれる気がするんです。

 

価値観壊されると沼るんですよ?

 

大学の友達は一生の友達なんて言葉があるくらいに、彼らは一生の友達と思ってるんですよ。実際に今会いたいなって思えるの友達は上の二人合わせた4、5人くらいですから。

 

時刻22:40 夕食後就寝前の書き留め

 

ラーメンを啜ってお腹をぷくぷくにして休憩しております。

 

長く綴っていて最後に何を書こうか思案しとります。大学時代の思い出を書くのもなんか違うなと思いつつなんとなくで書いてきたここまでですが

どうしようどうしよう

 

明日は何をするんでしょう。きっと学校にまたみんなで集まってなんか話して帰って、お酒を呑んで話して、煙草を吸って、吸わないY君に「今日くらい一本」なんて言って3人で吸うのかな

 

みんなに向けて手紙を書こうかしらん?いや、めんどうくさいから言葉でいいか。

 

これから1年、5年、10年後、このブログを思い出して、訪れて、笑って懐かしんで、また無益を求め出すのかも。求めたらいいなぁ

 

明日の次の日には卒業旅行に行きます。きっと「またな」っていうと思うから、絶対にまた会いたいな

 

現在22歳。今年で23歳です。

 

四年間が人生の中の雨のようで、恋をしていたと思います(酔って何が悪い)

 

とても楽しかった、これは後世、自慢をするであろう四年間でした。思い出せること、思い出せないことが山ほどある。

 

ひとしきり四年間ボケた奴やツッコミじゃないツッコミを四年間してくれた奴、夜を越そうというのに、初めてのオールで恵比寿まで歩いた日がいつまでもトラウマになっていてそれ以来オールをしてくれない奴、何も気にせずに目的地と真逆に歩こうが革靴で歩こうが関係なしにオールに付き合ってくれる奴、思想が強い奴と弱くて叱られる奴、ドライブで吐いた奴や飲んだ後の電車でよくぶっ倒れる奴、京都で泣く奴と川沿いで酒を飲んだ奴、適当な奴とキッチリやりたい奴と思いきや逆で、こいつが一番ヤバい奴、何故か一番バイトを頑張ってた奴、親の仕送りを貯金してた奴、社会人前から借金を作る奴、成人式で幼馴染と付き合う奴とゲームで知り合い年上と付き合う奴と大学時代一人を貫いた漢、色んな奴に出会った。

 

笑顔を忘れなかった我等。

 

ありがとうございました。

 

明日は卒業式です。おやすみなさい。

 

「晴れのち雨に恋をした」 就

 

追伸:終

折り返し(残っていた謎の下書き)

書いてる時は重いのに

読み返すと軽いなぁと感じてしまう。

 

言葉とはそんなものなのかも知れない

同じ言葉であろうと、

吐いた人、吐いた時、吐いた相手によって

価値なんて簡単に変化してしまう。

 

言葉は変化してこの世のそこら中で

動き犇き、永遠に生きるであろう

いわば未確認生物だ。

きっといつまでも「言葉」というそれの

解剖や解析は不可能であろう。

ビビッときたを置いておく

長い間このブログを更新してない間多くのことが起きた。

 

好きな人ができました。一生を考えるほどです。

 

この頃孤独死を真面目に考えていた自分には大きな出来事で、あぁ人を好きになるんだ。

とても驚き。

 

親にも話せば人を好きになって安心したと言われるほどだ笑笑

 

一生を考えるほどと言うとで相当なこと思う。

よく聞くのは「ビビッときたから」であろうか?

 

なんで好きになったの?と友人に聞かれればあなたに似てるからと答えると「それはどうなの?」と言われた。

 

でもよくよく考えると僕のビビッとはこれなのだ。

 

「僕の大切な人達に似てるから」

 

自分の家族、妹達、大学の友達YやK君に似ている部分が見れたのだ。

 

結構大切なことなんじゃないか?これって。

 

一生の人が現れるまでは長くいる存在達に似ているって。

 

てな感じで僕のビビッとを置いときます。

ぶち壊しと現実

先日の京都旅行の話をひとつ。

 

京都旅行の中でこの話かと思うけれどしとこうと思いまして、、、

 

「人は輪をぶち壊すのがとても苦手である」

 

京都旅行最終日これを実感した出来事が起きた。

 

京都旅行はKくんYくんお馴染みのメンバーで出発。なかなか順調でとても楽しい時間が続いていたのだけれど最終日夜事件が起きた。

 

Y君が小失踪をしたのである。京都の夜で!

 

お店を出た後、僕・K君は鴨川へY君は「歩いて先に帰る」と言うので一旦別れることになった。

 

僕とK君は1〜2時間ほど時間を潰したあと帰宅するとなんと先に帰ってるはずのY君が帰っていなかった。電話をかけてもなかなか繋がらずやっとのことで出た時は未だ2駅先のとこだと言う。

 

そうかそうか

 

どうするか迷っているとK君が迎えに行こうと言う。「1人で歩いて帰るとかおかしいし心配だから行こう」と。それに了承して迎えに行くことに。

 

ここでひとつ告白したいのだが僕はこの時物凄くめんどくさかった。帰宅してY君が居ないとなった時点で物凄くめんどくさくなった。

 

何故か、なんとなく予想がついていたのだ。

 

そこで自分が思っていることをY君に話すと「絶対それじゃん」となり、やっぱり迎えに行こうとなった。

 

Y君に合流し話を聞くと1人とぼとぼ帰ってきてたらしい。なかなか本題にいかないので僕が本題をぶっ込むとY君はそのまま号泣し出した。

 

やっぱりかー

 

内容を要約すると。京都旅行中僕とK君がY君の知らない話で盛り上がりそれを見たY君が雰囲気を壊さないように離れると自分が1人になった気がしてナイーブになったと。

 

酷いことを言ってしまうと僕はY君が泣いた瞬間物凄く冷めたことを告白する。

 

あまりにも予想と現実が重なってしまい引いてしまったのだ。めそめそ泣くものとゴニョゴニョ喋りが苦手な僕にはキツくまた僕はナイーブになる気持ちは共感できるがその行動が意味不明で理解できない物であったのだ。

 

ここで本題に戻るのだが

 

「人は輪をぶち壊すのがとても苦手である」

 

まさにこれだと思った。

 

どう考えてもY君は自滅行為にしか思えない。良かれと思って自ら離れ、そのせいで孤独を感じ、疎外感を感じ底辺まで落ちていったのだ。

 

よくよく考えると僕は日頃から輪をぶち壊すのに慣れている節がある。

 

例えばY君とK君が某アイドルの話で盛り上がっておれば無知識の僕も強引に入っていくし、高校時代も知らないアニメの話に無理矢理入っていった。

 

でもきっと多くはY君のような前者で、それが物凄く大切で近い存在の人にも発動してしまってるんだろうと思った。

 

何故?正直今でもまったくわからない。

 

でもこの輪をぶち壊す能力はきっと生きていく中でとても大切な能力だと思う。

 

気を使うという行為はとても労力を使うのだ。自分を押し殺すのに同等何だから。

 

輪をぶち壊す。大切である。

 

あまりまとめられませんでした笑笑

すみません。

 

とりあえずY君は宿泊先で待とうとしていた僕を迎えに行こうと言ったK君に感謝しときましょう。