ぶち壊しと現実
先日の京都旅行の話をひとつ。
京都旅行の中でこの話かと思うけれどしとこうと思いまして、、、
「人は輪をぶち壊すのがとても苦手である」
京都旅行最終日これを実感した出来事が起きた。
京都旅行はKくんYくんお馴染みのメンバーで出発。なかなか順調でとても楽しい時間が続いていたのだけれど最終日夜事件が起きた。
Y君が小失踪をしたのである。京都の夜で!
お店を出た後、僕・K君は鴨川へY君は「歩いて先に帰る」と言うので一旦別れることになった。
僕とK君は1〜2時間ほど時間を潰したあと帰宅するとなんと先に帰ってるはずのY君が帰っていなかった。電話をかけてもなかなか繋がらずやっとのことで出た時は未だ2駅先のとこだと言う。
そうかそうか
どうするか迷っているとK君が迎えに行こうと言う。「1人で歩いて帰るとかおかしいし心配だから行こう」と。それに了承して迎えに行くことに。
ここでひとつ告白したいのだが僕はこの時物凄くめんどくさかった。帰宅してY君が居ないとなった時点で物凄くめんどくさくなった。
何故か、なんとなく予想がついていたのだ。
そこで自分が思っていることをY君に話すと「絶対それじゃん」となり、やっぱり迎えに行こうとなった。
Y君に合流し話を聞くと1人とぼとぼ帰ってきてたらしい。なかなか本題にいかないので僕が本題をぶっ込むとY君はそのまま号泣し出した。
やっぱりかー
内容を要約すると。京都旅行中僕とK君がY君の知らない話で盛り上がりそれを見たY君が雰囲気を壊さないように離れると自分が1人になった気がしてナイーブになったと。
酷いことを言ってしまうと僕はY君が泣いた瞬間物凄く冷めたことを告白する。
あまりにも予想と現実が重なってしまい引いてしまったのだ。めそめそ泣くものとゴニョゴニョ喋りが苦手な僕にはキツくまた僕はナイーブになる気持ちは共感できるがその行動が意味不明で理解できない物であったのだ。
ここで本題に戻るのだが
「人は輪をぶち壊すのがとても苦手である」
まさにこれだと思った。
どう考えてもY君は自滅行為にしか思えない。良かれと思って自ら離れ、そのせいで孤独を感じ、疎外感を感じ底辺まで落ちていったのだ。
よくよく考えると僕は日頃から輪をぶち壊すのに慣れている節がある。
例えばY君とK君が某アイドルの話で盛り上がっておれば無知識の僕も強引に入っていくし、高校時代も知らないアニメの話に無理矢理入っていった。
でもきっと多くはY君のような前者で、それが物凄く大切で近い存在の人にも発動してしまってるんだろうと思った。
何故?正直今でもまったくわからない。
でもこの輪をぶち壊す能力はきっと生きていく中でとても大切な能力だと思う。
気を使うという行為はとても労力を使うのだ。自分を押し殺すのに同等何だから。
輪をぶち壊す。大切である。
あまりまとめられませんでした笑笑
すみません。
とりあえずY君は宿泊先で待とうとしていた僕を迎えに行こうと言ったK君に感謝しときましょう。