都会的
僕は長年の友人であるRの事を思い出していた。
それは、テレビのキャスターが「都会的」という言葉を使ったのとピース又吉さんの本「東京百景」に出てくるシーンが原因だ。
「都会的」ってなんだろう。
そう思いながら読んでいる本の内容は、
登場人物が坂道をブレーキ無しに走る
というシーンであった。
田舎で暮らしていた僕の周りは山が多く、坂と聞くと山の急な斜面を思い出し、そこを
ブレーキ無しは自滅行為だなと想像した。
そんな事誰もやらないけど
1人だけやったやつを知っている。
それは夜遅くのことで、Rから電話がかかってきた。
「もしもし、どうした?」
「や、べぇ〜、死にそう」
「え、どうゆうこと?」
「自転車ぶっ壊れて、血出てる」
「なんで?笑」
「あの坂あるじゃん、ブレーキ無しで降りたら途中で効かなくなって、コンクリにぶつかる前に飛び降りた笑」
「馬鹿すぎだろ笑なんでブレーキかけなかったんだよ笑」
「そうゆう、衝動に駆られたんだよ!」
その坂は地元の人であればすぐに危ない坂だと分かる場所で、車でも危ない。
彼はこの他にも深夜に何度か僕に電話をかけてきては、一言目は「死にそう」であった。
仲の良い友達の中では「キチガイ」という愛称があった。でも関東に出てきて、帰省した時にはRのことをキチガイなんて思わなくなった。
これは僕の中の何かが変わって、彼のような奴は普通だなと思うようになったのかもしれない。
高校の頃はとにかく都会に憧れていた、
「都会」は面白いやつが沢山いて、狂ってて
楽しい場所に違いないと思っていたから。
2人で都会に行こうと言っていたが、
結局彼は来ず、多分もう来ないと思う。
要するに僕は都会に出て、「都会的」になったのだと思う。
そしてRは、僕達より遥かに「都会的」な人間だったのだろうと思った。
僕の近くには昔から都会があったのだ。
この文章を書いてて思ったけど、
「都会」「都会的」という言葉は嫌いだ。
その言葉だけで、凄い場所ですごい奴らがいて楽しい場所と連想してしまう。
(僕だけかもしれないが)
実際はそんなことは無い、いわゆる「都会的」な東京だって、一つの場所に過ぎない。
結局のところ、そういうことだ。
こう思えたのも
田舎で一番の都会なやつを知っているから